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人生いろいろ

高田 晴美講師
 

 先日、京都大学の山中伸弥先生がノーベル医学・生理学賞を受賞したというニュースが飛び込んできました。数年前からいずれ受賞するだろうと期待されていた山中先生ですが、思ったより早くそれが叶ったな、というのが私の印象です。そして、山中先生の、嬉しさとともに責任感も感じる、実用化され社会貢献できてこそ意義があるという内容の誠実で真摯な会見を見て、山中先生の本当のお人柄は分からないものの、物理学賞を受賞したときの益川先生の奇人変人振りとのあまりの違いに、そうか、医学・生理学賞というのはこういう世界か……と納得しました。一方で、それでも私は、母校(大学)の先輩だからというのでもありませんが、益川先生の姿の方にしっくりきてしまったのでありました。
 私の経歴・学歴は教員紹介のページも見ていただくとして、私は大学と大学院にほぼ2つずつ行きました。1つ目は理学部の物理学科。ここでは宇宙物理学の研究を、と言いたいところですが、大学院ではほぼ毎日、X線望遠鏡の反射鏡の開発。鏡を作っては反射率を測定し…の繰り返し。要するに、X線を反射させるのは大変ということなんです。レントゲンの正体がX線であることからも想像ができるように、基本的には反射せずに透過してしまいますから。そして、修士論文を書いているうちに、遅まきながら、物理を心の底からは楽しんでいない自分に気が付きました。私はおそらくは子供のころから、一生をかけて何かを探求もしくは研究することが夢だったので、それはそれでショックで、楽しめない自分に悩みました。そして、私がやるべき研究はこれではないのではないかという疑念が生じました。そして一念発起。文学少女でもあった私の魂が真に欲しているのは国文学(日本近代文学)研究だ! と、別の大学の文学部に入りなおしました。
 物理学が、この世界の仕組みをなるべくシンプルで普遍的な法則で説明しようとする学問ならば、文学は、普遍的な要素ももちろんあるけれども、普遍的なルールからは思いっきり逸脱するような一人の人間の個別性、特殊性に迫る学問でもあります。誰にでもあてはまるような公式化された見方を安易に当てはめて納得した振りをしない。通俗的な構図で当てはめて分かった気にならない。そういう構図そのものを揺るがす。私の感覚では、物理学とは思いっきり反対の手法であると思います。文学研究には様々なスタイルがありますが、少なくとも私自身は、田村俊子など女性作家の、そして彼女らの文学の真髄に迫りたい、深みに触れたい、それを解明したいと思って研究をしています。とは言え、特殊性ばかりを主張したら、「で? それが何なの?」と、単なるイレギュラーな存在とみなされてしまうことにもつながる。研究対象をどう扱っていくかが難しいところです。他の文学研究者はともかく私に限って言うならば、文学研究することで人間存在や女であること、女として生きるとはどういうことかなどをこの世界の問題であるとともに私という人間であり女である者の問題として考え、訴えかけているように思います。これをせずには、私はおそらく生きていけません。
 では、物理学と文学は正反対のベクトルを持つものなのか。理系の極北と文系の極北という意味ではその通り。しかし、物理学の中でも特に宇宙物理学と国文学の二つの業界に身を置き、それを嗜好し志向した私からすれば、大いなる共通点もなくはない。私がどうしてこの二つの学問分野を好み、その業界に身を置くことにしっくりきたのか。身もふたもない言い方をすれば……直接的には世の中の役に立たない、役に立とうとは思っていないということかもしれません。(あくまで、直接的にはということです。間接的には役に立てているといいなとは思っています。)こういうことを、実学志向の四日市大学で、しかもこの総合政策学部で言ってしまっていいのだろうかと思わなくもありませんが、こんな私を受け入れてくれている(といいな)のが、この大学・学部の懐の深いところ。そして、学問や文化というものは、そのような懐の深さがなければ、味気なくつまらない、底の浅いものとなってしまうとも思います。それに、ひょっとして、ひょんなことから、いつどこで何がどのように役に立つかも分かりませんものね。この世の真理は、何事も、どんなに奇妙奇天烈なことでも、誰かが探求しておくものです。
 ということで、ちょっと自己弁護したところで、私のここでの一番の本分は公務員養成でありますので、もちろんそれについても精一杯、できる限りのことをし、学生のみなさんのお役にたちたいと思っております。私も、色々と遠回りしてきたようでいて、結局はこれまでの経験をすべて活かす仕事に就くことになりました。人生、無駄なことはないんだと実感しています。経験が全てだとは言いたくありませんが、何事も、与えられた機会を見逃さない。取り立てて興味があってもなくても、とりあえず挑戦してみる。やっているうちに道は開けてくる。そうこうしているうちに、ここにこうしている私がいます。

 


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