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受賞者のレポート

■ディン ティ カムさん(経済経営学科1年生)
■ブイ タン タムさん(経済経営学科1年生)
■レイノルド ジャヤ ブディマンさん(経済経営学科1年生)

ディン ティ カムさんのレポート

 日が昇っている。遠いところから、大勢の人たちの声が聞こえた。「アメリカン許せない」など。周りには、あちこちに原爆で亡くなった人たちや火傷をした子供の写真を首から掛けている人がいる。今日のプログラムが一人ずつ配られた。朝から夜まで、多くのイベントが行われた。シュプレヒコールの声が響き渡り、それを遮るかのように多くの警備員が並んでいた。その情景を見たとき、私は恐ろしくなった。日本人の心の底には、怒りがあると感じた。痛みや義憤がまだ残っていると思った。以前から、原爆を落とされたことは日本人にとって大きな痛みであると思っていたが、実はそれだけではなく、戦争で負け、原爆を落とされたことに対する屈辱が心の底にあるのではないかと思う。
 家族を失い、ふるさとは焼け野原になり、何もかも失くした日本人。そんな辛くて悲しい環境の中で痛みを抱えながら歯を食いしばり、頑張り乗り越えた。かなり困難な状態の中で、世界のトップになった。日本人は自尊心が高いのではないか。私は、この日から、日本人のことにますます関心を持つようになった。
 原爆ドームから平和公園まで、色々なイベントが行われていた。ある人は道で座り、平和への祈りを込め歌を唄った。多くの高校生が見学していた。私たちは、ボランティアの人から、戦後日本がどのように復興してきたか、どのように経済発展してきたかを聞いた。若者は朝から夜遅くまで工場で働き、学生までも授業が終ったら協力し一生懸命働いたそうだ。
 その日の午後、広島市原爆死没者慰霊式に多くの人が参列し、犠牲者の冥福と世界平和の恒久を祈った。広島市長、広島県連合会の方々など多くの人々が献花した。線香の煙が立ち込め、悲しい情景を映し出していた。同時に平和公園の近くの川では、灯篭流しを行っていた。一人ずつ灯篭を自分で作り、川に流していた。ヒロシマの物語は水に語られる。川に飛び込んだ何千もの人々が命を失った。その後、放射能を含む黒い雨が降り注いだ。その川の周りは、ゆっくり歩いて探せば、今でも亡くなった方たちのボタンや家の屋根ぐらいは見つけることができるそうだ。
 その日、あちこちで住民のデモがあった。「安倍首相の政策に反対する」「アメリカン許せない」「安倍を倒そう」などのスローガンが広島の街中に響き渡った。
 三日間の旅行の中で、8月6日広島平和記念日の一日が一番記憶に残っている。戦争ですべてを失くした日本人の心の痛みも何となく分かった。そして、そこから立ち上がり復興した日本は、世界中で一番強い国ではないかと思った。



ブイ タン タムさんのレポート

 「新幹線ひかり542号、名古屋から新大阪~広島まで」

 8月5日、今日から3日間広島旅行に出かける。楽しみ、Enjoy、嬉しくなってきた。今回、レイさんとカムちゃんと私の三人で、2週間かけインターネットなどで調べ、レポートも頑張って書いたので、DiscoverJapanという奨学金を大学から頂いた。今日を出発日に選んだのは、明日8月6日の広島平和記念式典に参加するためだ。
 新幹線が出発した。私たちが乗った5号車は自由席。指定席と違い満席だった。カムちゃんが疲れている様子で、日本での留学生活は大変である。一方、レイさんはパンを食べている。レイさんにとって、食べることはいつも一番大切なことのようだ。「おい、レイ、食べすぎだぞ!」と言うけど、気にしていない。レイさんはまだまだ子供みたいだ。カムも時々子供っぽい行動をする。二人の子供を連れて旅は大丈夫かな。気がつくと、カムは寝てしまっていた。「間もなく京都、京都です。」車内アナウンスがあっても、二人とも目を覚まさない。レイさんは口を大きく開け、頭を傾げて寝ている。面白い写真を撮ったのでFacebookに載せようと思う。
 13時45分、やっと広島に到着した。気温は38℃、とても暑い。最初の見学地はマツダ工場の予定だったが、時間が遅くなり見学ができなかった。次に、私たちは路面電車に乗り広島城に向かった。路面電車に乗るのは初めてで面白かった。広島城では、江戸時代の武士の鎧や刀を見ることができ、凄いと感じた。ホテルに行く途中で道に迷い、日本人の方に道を尋ねると、とても親切に教えてくれた。広島の町は川が流れ綺麗で静か、人も優しい。「なんでみんな優しいの。ここに住みたい。」とカムちゃんと話した。外国人もたくさんいた。皆、広島平和記念日に祈りを捧げにきたようだ。ホテルは外国人客が多く、値段も安い。小さいけれど、とてもサービスが良い。従業員の方もとても親切で満足した。
 8月6日、2日目
 「カム、レイ、起きて!もう8時だよ。」やばい、三人とも寝坊をしてしまった。昨日歩きすぎて疲れたのかもしれない。急いで原爆ドームに向かった。人はたくさんいたけれど、記念式典は終っていた。たくさんの人の中に、ある群集がいた。デモだった。「アメリカいらない。原発いらない。安倍首相倒せ。」初めてデモを見て、凄くびっくりした。広島の人だけじゃなく、日本の人たちにとって原爆の痛みは大きいということが分かった。原爆ドームと平和公園を見て歩く。原爆ドームを見て涙が出そうになった。たくさんの原爆被害者の写真を見た。綺麗で人も優しい今の広島と、原爆投下直後の町の姿は、まるで180度変わってしまっている。ここまで復興させた日本人の精神は、本当に素晴らしいと思った。世界一だ。武士道精神がここにも生きているのだろうか。「May Peace in Japan. No more Hiroshima. No more Nagasaki. No more Fukushima.日本が平和でありますように。世界が平和でありますように。」というメッセージが心に響いた。私たちも、たくさんの日本人や外国人と一緒に祈った。そして、原爆ドームを5分くらい見上げていた。心の底から感動した。
 平和公園に着くと、大勢の人が原爆死没者慰霊碑の前に列を作って並んでいた。お賽銭やお花を供え、亡くなった人たちの冥福を祈った。慰霊碑には「安らかに眠ってください。」と記してある。線香の煙が立ち込めている。「戦争が嫌い。」と心の中の叫び声が聞こえた。
 夜になり、私たちはお好み焼きを食べに行った。とても美味しかった。「おい、レイ、お前食べすぎだぞ。」「人間だからな、旨いものはいくらでも食べられるよ。」三人が一斉に笑った。この日は絶対に忘れない。ホテルに戻り、楽しさと寂しさが交差した。世界が平和でありますように。ずっと願っている。
 8月6日、3日目
最後の日、宮島へ行った。船で15分くらいかかった。青い空と赤い鳥居、とても綺麗で感動した。鹿がたくさんいて、触ったら柔らかだった。私たちはお土産を買い帰途についた。3日間の旅行が終ろうとしている。失くしたカメラも警察官に見つけてもらい、本当に良かった。感謝している。
この旅は、色々勉強になった。広島人、日本人の心の痛みが分かった。私の願いは、「いつも平和でありますように。」そして、被害に遭われた方のご冥福を祈っている。
 「May peace for Japan」
 「May peace for the world」
 「No more Hiroshima」
 「No more Nagasaki」
 「No more Fukushima」
日本が平和でありますように。
世界が平和でありますように。


レイノルド ジャヤ ブディマンさんのレポート

 今年の夏休みは、とても嬉しいことがありました。学長から「DiscoverJapan-日本再発見の旅」の奨学金をいただいたからです。毎年、受賞者は自分の行きたい日本の有名な所に行くことができます。今回私は、ベトナム人の友人二人と一緒に広島に行くことができました。単なる旅行ではなく、様々な事を勉強することができました。
 私たちが広島に行った日は8月6日、この日は世界が初めて核兵器の恐ろしさを知った日、世界中からこの日の平和記念式典に参加する人々が広島に集まりました。この日、一番印象深かったのは、「原爆でたくさんの人が死んだ。熱でグラスや石、何でも溶けちゃったよ」と話したおばあさんの言葉です。私は、想像しただけでも核兵器が怖くなりました。全世界から核兵器を一切無くしたいと思いました。
 それだけではなく、この日、デモが町中で行われました。私は、初めて日本のデモを見ましたが、とても素晴らしと思いました。デモはルール通り行われ、通行の邪魔にはなりませんでした。私は、このように整然と行われるデモシステムが、自分の国でも同じように出来たらいいなと思いました。
 広島は、景色の綺麗なところもたくさんありました。私が一番好きな場所は宮島です。港から船に10分位乗ると宮島に着きました。そこには、世界遺産として登録されている厳島神社があり、海上に大きな赤い鳥居があります。とても綺麗でした。子供の時、この鳥居をテレビや本で見たことがありましたが、この日は、自分の目の前に建っていました。すごく感動しました。
 このような機会を与えていただいて、感謝の気持ちで一杯です。だからこそ、皆さんにも、ぜひこのチャンスを逃さないように、次回チャレンジしてほしいと思います。


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